2011年10月06日

卵から生まれた池間島の神々

池間島最大の行事である「ミャークヅツ(宮古月)」がはじまっています。

三日間の行事できょうが一日目は「アラビ」、明日二日目を「ンナカノヒ」、3日目を「アトノヒ」といいます。

明日は、池間島に入って祭りのようすをみてきます。

その前に、池間島を紹介したいと思います。

卵から生まれた池間島の神々

宮古島の北西1.5キロに位置し、面積28.3平方キロメートル、周囲10.1キロメートルの島。
池間島には、卵生説話があります。
ある貧しい女性が、12個の卵を産み、その子どもたちが成人して十二方の神になり
その女性は昇天して「子の方母天太(ニヌパンマティダ)」となりました。
12人の神々のうち最も霊験あらたかな「おはるずの神」が池間御嶽(うたき)にまつられました。

この神は男神で船旅の御願(うがん)および諸願には池間村中に崇敬され
宮古中の人の命運をつかさどる神であるとも信ぜられていました。
これは何時のころからか「おはるず御嶽(うたき)」と呼ばれています。

仲宗根豊見親(とぅゆみゃ)が首里王府によって宮古の頭に任命されると
池間は、大神、島尻、狩俣とともに四島の主(ゆすまぬしゅう)によって
治められたと伝えらています。

卵から生まれた池間島の神々

池間島は土地が狭いので人口密度が高い島でした。
1737年に1回目の分村が行われました。
住民の一部を伊良部島の国仲に移しました。

1766年に2回目の分村。
伊良部、佐和田、池間の三村の人口が2.000人を超え
統治が難しくなったとして、三村の人口を分けて
仲地、長浜、前里の三村ができました。
これで、池間島には池間と前里の二村ができました。

さらに明治7年には池間島の人口増加に伴い
平良の北、横竹の地に新しい村をたてて池間の人々を移し
西原と名付けました。

卵から生まれた池間島の神々

池間島には地縁的結合である里神集団、里家があります。
また血縁的結合、儀礼集団としてのムトゥがあります。
ムトゥは「アギマス」「マジャ」「マイヌヤー」「マイザトゥ」の4集団で
池間出身の者は、必ずこのいずれかのムトゥに属しています。

池間島の「おはるず御嶽(うたき)」を中心とする御嶽の祭りや
いろいろな神願いは古い時代から続いていて
池間の血縁同族共同体の精神的な中核となってきました。

そのなかでも池間独特で島最大の行事が「ミャークヅツ(宮古月)」です。
「おはるず御嶽」の鳥居には豊年祭ののぼりを立て
集落の中心的集会場・水浜には一斗入りの酒をおき
大司(おおつかさ)を先頭にして、司ンマたちが、酒甕を前にして
「宮古月」の歌をうたいつつ、クイチャーを踊ります。
この行事は、池間だけでなく、分村した佐良浜や西原でも行われます。


それでは、あしたンナカヌヒをみて、そのもようをUPしますね。




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この記事へのコメント
ありがとうございます。このサイトを見て、「ミャークヅツ(宮古月)」に大変惹かれるものがございます。このお祭りは10月なのですね。もっと詳細が知りたい場合は、どちらを訪ねればよろしいものでしょうか。
Posted by リチャード木下 at 2021年07月12日 14:00
 
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